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2008年5月 8日 (木)

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ② 大塚国際美術館

 この “ 大塚国際美術館 ” は、1998年3月、大塚製薬創立75周年記念事業として設立されている。この3月で10周年を迎えたことになる。
 この壮大な複製美術館の総指揮したのは、大塚製薬2代目社長の大塚正士(故人)で、そのきっかけは、当時大塚化学の技術部長の正士氏の末弟大塚正富氏と技術課長の板垣浩正氏の提案であったという。それは、1971年、両人が正士氏に一握りの砂を持ち出し、これでタイルを造りたいという提案だった。この砂は鳴門の砂で、紀伊水道に面して白砂海岸があり、その白砂だった。いろいろな経緯を経て、タイルの製造が始められ、ついには、1メートル角のタイルを作っても歪みや割れが一つもなく、20枚作れば20枚とも100%合格の商品に仕立てあげたという。この時期、アメリカにおいては20枚中19枚が不良品となり、1枚のみが合格するということだったらしく、この大塚のタイルはすごい技術力によったものであったらしい。
 そしてタイルの品質をあげるため、滋賀県信楽町の会社と合併し、さらに高度の技術開発を目差したという。この会社は、あの石油ショックのあった1973年に設立されている。この時期は、石油価格が12倍にも高騰し、ビルの建設が全面停止になるという時代であった。そのため、会社は設立したが、操業ができなかったという。そのような苦難の中で、役員会で、《 陶板に絵を描いて美術品の方に移行しよう 》 という意見にまとまり、手始めに尾形光琳の 『 燕子花 ( かきつばた) 』 を試作した。上出来であったらしい。そのような研鑽とともに、1973年には、2万点に近い陶板の絵付の色を開発し、ついに、ピカソやミロの有名絵画を、陶磁器に、しかも原寸大に複製することに成功した。このような技術は、日本だけでなく、世界にも例のない大型美術陶板の開発で、大塚の名を世界の美術界にとどろかせることになった。

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 ともかく、陶板なので、時代が少々経とうとも、1000年、あるいは2000年後も色はあざやかに保たれ、補修はほとんど必要としない。システィーナ礼拝堂の壁画の一部をとり出して別に展示していたが、これを手で触れることもできる。私の好きな、ルオーの絵画が1枚だけあったが、その厚塗りの感触を体験することができ、この探求のすごさにはさすが驚いてしまった。手で触れて、エェーという感嘆のため息が出た。これまでの美術館では、ガラス越しにしか見れなくて、しかも写真も撮れない。しかし、ここでは写真も撮れるし、触れることもできる。美術に関心のある小中学生にはとてつもない勉強の場になるのだろうが、そこまでの企画はなさそうである。
 原寸大で、1000余点の陶板複製名画が掲げられているので建物も壮大である。地下3階から地上2階までビッシリと絵が系統的に展示され、古代遺跡 ( 例えばポンペイの埋もれていた壁画 ― ポンペイの赤 ― が再現されている ) や教会などの壁画を環境空間にとそのまま再現しているのは、臨場感を味わえる立体展示とも言える。また、様々なテーマ展示もなされている。
 レオナルド・ダ・ヴィンチの 『 最後の晩餐 』 は修復前と修復後の2つが相対して展示されていて、圧巻である。
 地下3階より地下2階 → 地下1階 → 1階 → 2階と進むうち、いつのまにか、本物を観ている感覚になってくるから、この大塚国際美術館はやはり、誰もが1回は観て欲しい美術館の一つだと私、松本文六は思う。欲を言えば、マチスという有名な画家の絵が一枚もないのは残念だし、西洋画ばかりではなく日本画、日本人の絵画もこういう形で一堂に集めてもらえればいいが…。しかし、そうなると、日本の各地の美術館の存在価値がうすれてしまうので西洋画に限ったとすれば、大塚正士氏の考え方に心より敬意を表したい。

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